花見の季節、バス停でふわふわ時間を体験

「もう今年は春こないだろ・・・」

そう思い、今年は花見に行かなかった。
いや、正確には今年もだ。
明日はちょっと暖かくなるみたいだけど、また明後日からは変わらず寒そうだ。
きっとこのまま梅雨になるんだ。
でもそれもいいかもしれない。
花粉も落ち着いているし。
4月1日に嘘をつくのを忘れ、気づいたら学生の春休みが終わり、今日から新学期っぽい。

「春だな~」

じゃなくて、「雨だな~」な4月初めですね。
そんな先日、バス停でのこと。
50代くらいのオバちゃんが、バス待ちしてた60代くらいのオバちゃんに話しかけていた。

「すいません、○○公園に行く12番のバス停ってどこにあるんですか?」

どうやら花見に行くようだ。

「ああ、12番ね。12番は向こうにあるのよ。反対側。見える?あそこよ」

「え、はあ、はい」

「反対側にあるからぐるって回っていかないとダメよ」

「・・・はい。向こう側でいいんですよね?」

「そうよ、向こう側よ」

60代くらいのオバちゃんはバス停を指差して教えてあげていた。
そのときバスが止まり、扉が開いた。
今、質問をしていた50代くらいのオバちゃんが颯爽とバスに乗り込み、運転手さんに話しかける。

「あの、12番のバス停はどこにあるんですか?」

「じゃあ、聞くな!」

と、質問に答えていた60代くらいのオバちゃんが言った。
なんというナイスツッコミ。
その場にいた誰もが同じことを思ったに違いない。
運転手さんは、

「ああ、12番は反対側なので、向こうです」

と、さっきと同じような言葉を言っていた。
50代くらいのオバちゃんは運転手さんにお礼を言い、ナイスツッコミをした60代くらいのオバちゃんには特に何も言わず、近くにいた友人に

「なんかあっちの方みたいよー」

と言って、去って行った。

「人が親切に教えてあげたのに、常識がない!」

と60代くらいのオバちゃんはイライラしていた。
そのオバちゃんの隣に座っていたオバちゃんが、「そういう人もいるのよねー」となだめる。
確かに、そうなのかもしれない。
僕自身も「あれはないわー」と思った。
けれど、もしかしたら少しだけ違うのかもしれない。

例えば、
尋ねてみたけど、今一つ確信が持てない。
もう一人くらいに尋ねてみて、確信したい。
そうだ、バスの運転手に聞けば確実な応えを返してくれるはずだ。
あ。ちょうどバスが来た。
よし、聞いてみよう。
ここで今聞いたばかりの人がいる目の前でバスの運転手に聞くのは失礼かもしれない。
でも間違いたくない。確信が欲しい。
ごめんなさい、私は聞きます。
結局同じ答えを聞くことになった。
バスの運転手にお礼を言う。
先ほど尋ねた人にもお礼を言わなくちゃいけないだろう。
でも案の定、「じゃあ聞くな!」とお叱りを受けてしまっている。
ここで何か言ったら長々と文句を言われてしまうかもしれない。
私には時間がないのだ。
ならばここは憎まれるかもしれないけど、ささっとこの場から立ち去るしかない。
今は憎まれるかもしれないけど、明日にはきっと井戸端会議で、ちょっと話してすっきりしたら忘れてしまうに違いない。
顔だってちょっとしか見てないから、お互い忘れてしまうはずだ。
ごめんないさい。
心で何度もつぶやく。
ああ、見られてる。みんなが見てる。
きっと同じように「酷い人だ」って思っているに違いない。
誰かに「今日、こんな人がいたよ」って話すんだろうか。
でも大丈夫、そんな話なんてすぐに記憶の彼方。
数日後には忘れているはず。
誰も私を覚えていない。
それでいい。
それでいいの。
この見られているという背徳感に快感を覚えているのも、きっと明日には私自身も忘れている。
だって今からは楽しい楽しいお花見タイム。
ふわふわ時間(タイム)なんて目じゃないわ。
たくさんお酒飲んで寝ちゃおう、寝ちゃおーう。
でもちょっぴりみんなの記憶から忘れられちゃうのは寂しいな・・・。
ほら、よく言うじゃない。
人が本当に死ぬのは、誰かに忘れられた時だって・・・。

なんていう事情があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

↑この記事が気に入ったら いいね!ボタンを押して頂けると今後の励みになります!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメントを残す

コメントする

目次